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2010年10月 1日 (金)

「俺」という存在(2/5)

 
「お早う…」
翌朝、皆に挨拶してタイムカードを打刻するなり、俺は医務室に向かった。
「どんな具合?何か変化があったの?」
女医は俺を奥の部屋に導いた。
が、聞かれても、何と説明すれば良いのか途方にくれてしまった。
とにかく、昨夜のイメージを伝える。
「お、俺は頭がどうにかなってしまったのだろうか? 昨夜の俺は、女みたいに化粧をしてみたいだとか、ウェディングドレスを着たいだとかを心の奥で願っているような事を考えていたんだ。いや、決して自分からそう思ったりはしていない。気が付くと、ふとそんな事を思ってる自分がいるんだ。」
「大丈夫。それは、この病気の症状の一つだから心配する事はないわ。気になるのなら、それを肯定する…受け入れてしまうと楽になるわよ♪」
「受け入れる?」
「そう。お化粧したいと思っている自分が不安なら、お化粧してあげるの。大丈夫。それだけで不安は解消されるわ。」
「化粧をする?俺が?」
「抵抗があるのなら、自分が女の子だと思ってみれば良いわ。ちょっと目を閉じていて。」
カチャカチャと音がした。俺の顔全体に何かが塗り込まれた。目の周りを描かれ、頬や額が刷毛で撫でられる。
唇に何かが塗られた。
「目を開けて良いわよ。」

俺の前に鏡が置かれていた。
そこに写っていたのは「女」の顔だった。
(これは、俺ではない。これは、俺の顔ではない。俺は…)

 

俺は俺の記憶が途絶えていた事に気付いた。
いつの間にか、俺は自宅に戻っていた。時間は既に夜中の10時を回っていた。
机の上に鏡が置かれ、その前にいくつかの化粧品が並べられていた。
「これは、俺が買ってきたものなのか?」
レシートとクレジット払いの控えがあった。買っていたのは化粧品だけではなかった。化粧品以外の商品名のあるレシートを手に、部屋の中を見渡した。
ベッドの上にレシートに刻まれた店の手提げ袋が積まれていた。中身は…考えるだけで滅入ってしまう。
「受け入れてしまえば楽になるわよ…」
女医の言葉が頭の中に響いている。

鏡に俺の顔が写っていた。化粧をしていない素面の「俺」…
目の端に口紅のスティックがあった。昨夜、女の子の唇を見て思った…ピンク系の口紅だ。
鏡の中の俺の唇にスティックの先端が近づいていった。俺の唇に何かが触れた。その正体が何であるかは、ちゃんと鏡に写っている。
それは、唇に触れたまま左右に動き、俺の唇をピンクに染めていった。
その行為を行っているのは、信じられない事に、俺自身の手であった。

鏡に写る「俺」の顔…
確かにピンクの唇はしっくりくる。ファンデでお肌の色を整えれば、いっそう引き立つ筈だ。

…って、俺は何を考えているんだ!!
俺は並べられた化粧品を紙袋に放り込み、引き出しに仕舞った。
ベッドの上の紙袋も押し入れに詰め込んだ。
洗面所で石鹸を泡立てて口紅を落とす。
これ以上変な事にならないよう、俺は早々に寝てしまう事にした。

 

「お早う御座います。」
そう言って俺がタイムカードを押すと、課長に呼ばれた。
「今日までだったね。引き継ぎも終わっているようだし。今日は挨拶周りが済んだら、自由にしていて良いよ。」
俺は課員達への挨拶もそこそこに、医務室に向かった。
「一週間後には入院ね。」
奥の部屋に案内される。
「その後、調子はどう?」
「体は問題ないのですが、ここ数日、記憶が抜け落ちている事があるんです。いつの間にか、家に帰っていて…そんな時の俺の顔には決まって化粧がされているんです。」
「そう…」
そこで女医は一旦言葉を切った。
「もう一人の貴方が活動を始めたと言う事ね。」
「もう一人の俺?」
俺は記憶の隅に引っかかったキーワードを口にした。
「二重人格とかいうやつですか?」
「近いけど、少し違うわね。二重人格は表面的には何も変わってはいないの。その人格の持つ雰囲気が別人と錯覚させているだけよ。でも、これは全くの別人が貴方の中に生まれているという事なの。」
彼女は立ち上がり、俺の背後に回り込んだ。
「貴方の中のもう一人は女性のようね。お化粧にも興味があるし…」
不意に、彼女の手が俺の胸を掴んだ。
「あ、イヤン!!」
突然の事で、俺は女のような反応をしてしまっていたのにも、すぐには気付かなかった。
「肉体も徐々に変化していっているようね。」
「い、いや…これは単に太っただけ…」
「じゃあ、何でブラジャーなんかしているの?」
そう言われて、俺はブラジャーをしている事に気が付いた。
朝の行動を振り返る。ブラジャーだけではなかった。無意識の内に女物の下着を着ていた事がわかった。
「もし良かったらコレを着てみない?」
と差し出されたのは、会社の女子の制服だった。添えられたIDカードには「加藤郁美」という名と、化粧をさせられた時に撮られたと思われる女顔の俺の写真が印刷されていた。

 
「いつでも復帰できるようにしておくから。落ち着いたら連絡してきなさいね。」
いつになく優しい部長の声がした。
「あ…はい…」
また、記憶が飛んでいた? とりあえず、部長にはそう答えておいた。
唇の感触から、今回も化粧済みとわかる。かかとの高い女物の靴を履いているようだ。脚はストッキングで被われ、膝の所に触れているのはスカートの裾に違いない。
その女装した俺を違和感なく「俺」と認識している部長は、俺の状況を把握しているに違いない。

ふと周りを見た。
「女装」した俺の姿が他の社員に見られ、俺に女装癖があるなどと変な噂をたてられたら不巧いと思った。が、ここは会議室の一つで他には担当医の賀茂さんがいるだけだった。
「部長、そろそろ…」
と彼女が声を掛ける。俺が意識を取り戻したのに気付いたのかも知れない。
「では、再会を楽しみにしているよ。」
と言い残して部長は会議室を出ていった。

「俺、また記憶が飛んでいたようです。もう一人の人格が現れていたのですか?」
「そうだったようね。結構可愛い娘だったわよ。この分なら、本当に復帰も可能かも知れないわね。」
「でも、俺はあと二ヶ月で死ぬのでしょう?」
「加藤郁夫という男性はね。病院での治療が進めば、もう一つの人格と融合する事ができるわ。そうすれば、貴方は貴方の意識と記憶をもった女性として生まれ変わる事になるわ。」
「俺が女に?」
「今だって充分可愛いわよ。今の貴女を見て加藤君だと解る人はいないと思うわ。何だったら、一緒にお昼に出ない?勿論、貴女はその格好のままでね♪」
「け、結構です。早く元の姿になりたいので、医務室に戻らせてくれませんか?」
「あらそう?残念だわね。」
俺は誰かと鉢合わせしないかとビクビクしながら、彼女の後ろに隠れるようにしながら医務室に戻っていった。

 

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