« あたしは誰?(1/4) | トップページ | ピンクの携帯電話(2/2) »

2010年3月26日 (金)

就活セット

「就活用のスーツが欲しいんですが、こういう所初めてなんで…」
「それでしたら就活用のセットがあります。スーツの他にシャツや靴もお安くなってますよ♪」
女性店員のノリの良い応対に
「じゃあ、それでお願いします。」と即答してしまっていた。

サイズが計られ、試着室に連れて行かれた。
「裾を見ますから、ズボンを穿いてみて下さい。その後で靴のサイスも見ますから、靴下も履き替えておいて下さいね♪」
と紺色のズボンと黒い薄手の靴下が渡された。
僕はジーンズを脱ぎ、スポーツソックスを脱いで、まずは靴下を履いてみた。
靴下はハイソックスかと思っていたが、以外と伸びて膝の上にまで達してしまった。
ズボンで隠れる所なので大きな問題ではないので、店員さんへの確認は後回しにして次のズボンに取り掛かった。
ベルトを締め、用意ができた事を伝えると、早速やってきた。手にしたハンガーを壁に掛け、裾を調整してクリップで止めた。
「長くありませんか?」と僕が言うと
「これで良いのです。任せてください。」と取り合ってくれない。この分では靴下の件も無視されるに違いない。
「靴を見てきますから、シャツを替えて上着を着てみてくださいね。」と言って離れていった。
僕はカーテンを閉め、ワークシャツを脱ぐと彼女が置いていったワイシャツの袖に手を通した。
「あぁ;」
またか…と言う思い。シャツのボタンが左右逆に付いている。多分…いや、間違いなくこれは女性用のシャツである。
当然のように「問題ありません」と言う店員さんの声が頭の中を往復していた。
無駄な事は止めておこうと、僕はそのまま、慣れない手で何とかシャツのボタン留めた。

「良いですか?」と店員さんの声。
カーテンを開けると革靴が揃えられていた。パンプスでも履かされるかと思ったが、流石にそれはないようだ。
「少し歩いてみて下さいな♪」と言われてバックヤードの通路を歩いてみた。
思ったより踵が高いのでバランスが取り難い。ズボンの裾が長めなのも頷ける。
「良いみたいです。」踵の高さも慣れ次第だと自分を納得させてそう言うと、
「少し時間が掛かりますけど、お持ち帰りしますか?」と聞いてきた。
「下の階に休憩所がありますから。ドリンクもサービスですし、理容室も併設していますので、髪型も整えてはいかがでしょうか?」と割引券が渡された。
割引券に釣られて「持ち帰り」を選択すると、
「いそいで仕上げちゃいますね。」と彼女は脱いだ傍からカーテン越しにズボンを抜き取ると、いそいそ行ってしまった。
元に着替えようとしたが、着てきた服がない。
文句を言おうにも、彼女はいない。見ると、替えのボトムは存在していた。が、それはどう見てもスカートであった。

 
その時、足元に紙が落ちているのに気付いた。「お着替えは階下の理容室で預かっています。」
何も履かずにパンツ姿を見られるのと、スカート=女装するのとを天秤に掛けてみた。
バックヤードには人の気配はなかった。階段もすぐ近くにある。見られても一瞬である。
どちらが誤魔化しやすいか?

僕はスカートを履いて階段を降りていった。

 

休憩所は無人だった。
その隣に理容室の扉があった。中には店員とおぼしき人が一人いるだけだった。
「すみません、こちらに着替えが届いてると聞いたんですが…」僕は扉から首だけ突っ込んでそう言った。
「ああ、就活セットの方ですね。そちらのカーテンの奥に用意してあります。」そう言われ、そそとカーテンの内側に滑り込んだ。
そこにはベッドがあり、カゴの中に寝間着のようなものが入っていたが、僕の服はどこにも見当たらなかった。
「全身マッサージがサービスとなっています。カゴの中の服に着替えたら、声を掛けてくださいね♪」
ああ、サービスなのか…と、その流れで僕はカゴの中の服に着替えていた。

塗り込められたオイルの香の所為か、マッサージが始まると即に僕はうとうとし始めていた。
マッサージの心地よさて相まって、頭がぼーっとしていた。
いつの間にか、僕は椅子に座っていた。

瞼を開くと向かい側に女の子が座っていた。
軽く会釈したが、同じタイミングで彼女も頭を下げていた。二人して照れ笑いを浮かべていた。

「いかがですか?髪を少し明るめに染めさせていただきました。ムダ毛も綺麗に処理できていると思います。」と、理容室の人が声を掛けてきた。
しかし、声は後ろから聞こえるのだが、彼女は僕の前に座っている女の子の後ろのから近付いて来ていた。
ようやく、僕の前にあるのが「鏡」であることに気付いた。
と同時に向かいに座っていた娘は、鏡に写った僕自身に他ならないことを知った。

唇に指を当てた。鏡の中の娘も左右逆だが、同じ動きをしている。
指先に触れた唇には口紅が塗られていた。鏡の中の娘が僕自身だと判らなかったのには、化粧の効果もあったのだろう。
しかし、鏡の中の女の子が綺麗にお化粧されているという事は、僕の顔に化粧が施されているという事でもあるのだ。

 
「お待たせしました♪」と次に入ってきたのは売り場の店員だった。スーツの入った袋を持ってきていた。
「さあ、こちらへ…」とケープが外され、全身を写す姿見の前に立たされた。
ピンクのワンピースを着た可愛らしい女の子がそこに立っていた。
「これなら、どんな就活もOKね♪」と彼女達の声が合わさる…
「あ、あの… どんなって言われても、僕は男ですから、この格好では…」
と、僕はようやくソレを言う事ができた。

「……」

彼女達はしばらくの間、顔を見合わせていた。
そして、
売り場の店員が持っていた、スーツの入った袋と大きな紙袋が手渡された。
「紙袋の方に着てきた服と、セットの小物が入っています。」
「こ、今回はカットモデルという事で、一式を無料でサービスさせていただきます。」
0円と打たれたレシートが理容室の店員から渡された。

「頑張ってくださいね~♪」
僕はこの格好のまま、押し出されるようにして彼女達に見送られた。

 

 

「ねえ、彼女?」
と僕に声を掛けてくる男がいた。
「芸能界に興味ない?タレントになってみたいと思ったコトない?」

(就職できるなら、何でも良いかな?)
自棄になっていた僕は、男に向かって言った。
「よろしければ、お話を聞かせてもらえますか?」

こうして、僕の就職活動が始まったのだ。

 

« あたしは誰?(1/4) | トップページ | ピンクの携帯電話(2/2) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 就活セット:

« あたしは誰?(1/4) | トップページ | ピンクの携帯電話(2/2) »

無料ブログはココログ