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2009年3月14日 (土)

旅立ちの日

 

俺はゆっくりと剣を抜いた。

俺の前に立っているのは「俺」自身だった。
「切れるのか?」薄笑いを浮かべ「俺」が言った。彼は「俺」の姿をしているが、俺自身ではない。同様に俺もまた、その姿は「俺」自身ではなかった。
「ほう♪自分自身を切ることができると言うのかね?」「貴様は俺自身ではない。今のこの俺が俺自身なのだ。」俺は「俺」の心臓をめがけて剣を突き出していた。
手応えがあった。

だが「俺」の顔に浮かんでいたのは恐れと驚きに満ちていた。「俺」の中身は奴ではなくなっていた。

 

 
俺は冷たく濡らした布を「俺」の額に充てた。「う、ううん…」と「俺」がうめいている。寸での所で急所は外したが、深手を負っている事には変わりない。俺はこの三日間「俺」に付いて看病を続けていた。
「俺」の目がゆっくりと開いた。「大丈夫か?」と俺が聞くと、「良く解らない。何であたしの前にあたしがいるの?」

やはり…と俺は思った。奴は「俺」の身体を乗っ取ると同時に攻撃力の小さい女の身体に俺の魂を押し込んだのだ。奴の魂が「俺」の身体から逃げてしまえば、空いた「俺」に憑くのは最も近くにいた、この女の魂以外にはないとは考えていた。
俺は彼女を刺激しないように優しく言った。「貴女は悪い魔法使いの所為で、別の人の身体に魂を移されてしまったの。それは、わたしも同じ。そいつの所為でわたし自身の身体から貴女の身体に移されてしまっているの。解る?」
俺は極力、この姿に相応しいしゃべり方で語りかけた。彼女自身、今の自分の姿を解っていないのだ。自分が「男」になっている事は相当ショッキングな事に違いない。その上「自分」の肉体に男の魂が入っていると知れば、正気を保っていられるかさえ怪しい。
しかし、早晩、彼女は今の身体が「男」であることに気付くだろう。その時、俺がその事を隠していたと知れば、俺の事を信じられなくなる可能性もある。
「良く聞いて。」俺はある程度までの真実を語る事にした。「貴女の魂が別の人の身体に移された事は理解してくれたかしら?貴女の今の身体は悪い魔法使いと戦っていた戦士のものなの。戦士は深い傷を負って敗れたわ。貴女には痛い思いをさせているけど、一歩間違えれば確実に死んでいたでしょう。生き残れた代償として、いくつかの事には目を瞑ってもらう必要があると思うの。」
彼女は痛みを堪えながら上半身を起こした。
「もう気付いていると思うけど、今の貴女は男性なの…」俺は言葉を詰まらせていた。
「大丈夫よ。なんとか理解したわ。今のあたしは悪い魔法使いを倒す戦士なのよね。」と力強い拳を見つめた。
「いえ、貴女が戦士の役割を引き継ぐ事はないのよ。ましてや、悪い魔法使いを倒そうなんて考えなくて良いのよ!」「解ってるわ。でも、やはり姿に合った行動をするのが一番みたい。あたしは本来呪師なんだけど、自分に治癒の呪文を掛けても何の反応もなかったわ。」
試しに…と、俺が彼女に追いて呪文を掛けてみると、彼女の傷は嘘のように消えていった。

 

「行くのなら、わたしも一緒に行きます。」俺は彼女が旅の身支度を始めるのを見て、慌てて自分も支度を始めようとした。
「だめだ!今の君は呪師ではあっても満足に呪文を紡げないだろ。足手まといになる。」「満足に戦えないのは貴女も一緒でしょ?」「現時点で、それは否定できない。しかし、君は俺がいれば呪文を覚えられるが、君が俺に剣技を教えられるか?」俺はまだ彼女に正体を明かしてはいなかった。
「だけど、ある程度の技は肉体が覚えているみたいだ。この先、経験を積んで行けば奴とも戦えるだろう。そうだよ、すぐに奴と戦おうなんて思ってはいないよ。だから、君にはここで俺の帰りを待っていてもらいたいんだ。」
俺は話の展開についていけなくなっていた。
「元女の俺を受け入れてもらえるのは君だけだと思う。そうだ、奴を倒したとして元に戻れる保証はない。だから、俺は男として生きる事に決めたんだ。」
俺は「俺」に抱き締められた。「愛してる。」耳元で「俺」が囁いた。その言葉は呪文のように俺の頭の中を真っ白に染めあげていった…

 

「じゃあ行ってくる♪」
俺は旅だって行く彼を見送っていた。俺の内には、まだ彼の温もりが残っていた。
俺はもう愛する人を見送るだけの「女」だった。
彼の姿が丘の向こうに消えた途端、俺の目からは涙がこぼれていた。

 

俺の内に彼の子供が宿っていたのを知るのは、まだ数ヶ月先の事だった。

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コメント

旅立ちの日って、2人の新たな自分への旅立ちだったんですね。
そして『俺』は数ヵ月後に更なる旅立ちがあるんですね。

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